奈良、興福寺再建用の瓦窯発見 南都焼き打ち後に生産 

興福寺の旧境内で見つかった窯跡9基。うち4基(A、B、D、G)が南都焼き打ち後に瓦を焼いていたとみられる(奈良県立橿原考古学研究所提供、4基を示す文字を加工しています)

 興福寺(奈良市)の旧境内で、治承4(1180)年の南都焼き打ち後に再建用の瓦を焼いたとみられる窯の跡が見つかり、奈良県立橿原考古学研究所が9日、発表した。

 調査地は興福寺五重塔から約400メートル北で、県庁の裏側。明治初期まで寺の敷地だった。出土した瓦の特徴から興福寺用の窯と断定した。

 見つかった窯跡は9基。「有畦式平窯」と呼ばれ、一つの窯の内部にあぜ状の土台が数カ所あり、その上に瓦を置いて焼く構造。熱が均等に行き渡り、短時間で瓦が焼けるため、大量生産に向いている。中世では一般的な窯という。


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