「五輪コラム」畳の上の秩序崩壊 主審とジュリーの役割不明確 

男子66キロ級準々決勝 旗判定をめぐり、協議する審判団=エクセル(共同)

 ロンドン五輪で柔道の審判が、どうも自信がないままに判定を下している。

 日本では、66キロ級で銅メダルを獲得した海老沼匡の「行事差し違え」で旗判定が覆ったことが話題になっているだろうが、あくまでそれは「氷山の一角」。現地で取材していると、おかしな判定、進行が目立つ。

 まず、主審によっては技の判定を下す時に副審の顔色をうかがっている。「これでいいですよね?」という感じで。自信がないのだ。

 女子57キロ級のマロイ(アメリカ)対ザブルディナ(ロシア)戦では、主審がマロイの技を一度は技ありと判定したものの、有効となり、また技ありとなって、最終的には有効に落ちついた。会場からはブーイング、選手も待たされるだけで気の毒だった。

 柔道の審判問題は、さかのぼれば2000年のシドニー五輪の100キロ超級の篠原信一対ドイエ戦の技の判定が大きな問題となり、その後は日本がイニシアチブを取って、改善案などを提出してきた。国際大会は選手の優劣を決める場だけではなく、審判技量の審査の場でもある。五輪は、評価の高い審判が畳に上がっているのだ。

 ただし、審判技術が上位の人間が並んでいるわけではない。大陸ごとの割り当てもあるので、どうしてもばらつきが出てしまうのだ。

 極端な話、審判にもランキング制度を設けたらいいんじゃないか―。そんなことさえ思ってしまう。

 そしてもうひとつ、今大会で主審がやりにくそうなのが審判委員「ジュリー」の存在だ。柔道では技の判定を映像で確認する役目を3人のジュリーが行っているが、ジュリーが主審の判定を覆すケースが目立ち、主審の威厳が損なわれている。

 要は主審とジュリーの役割分担が明確ではなく、連携がうまくいっていないのが問題だ。

 映像判定に関して言えば、シドニー五輪の篠原問題の後、日本は映像判定の導入を提案してきた「改革派」だったが、当初は試合進行の妨げになるとして却下されていた。しかし、あらゆるスポーツで映像による確認が進んでいるなかで、柔道も導入に踏み切っているわけだが、試合進行の妨げになっている。

 主審ではなくジュリーの方にアピールする選手まで出てきた。

 畳の上の秩序が崩壊しているように見える。

 映像判定は、あくまで試合の流れのなかで、補助的な役割のものでなくてはならないと思う。たとえば、米プロフットボール(NFL)では、ヘッドコーチが映像判定を要求し、もし判定が覆らなかった場合はタイムアウトの数が減らされる。リスクがあるわけだ。映像判定をルールのなかにうまく取り込み、ある意味、テレビの視聴者を楽しませている。

 こうした発想が、改善に向けてのヒントになるはずだ。

 柔道の判定は明確な基準が設けにくく、主観が大きく左右するからこそ、主審の存在が重要なのだ。柔道が国際スポーツとして生き残るには、審判技術の向上、そして映像判定をよりよい形で運用していくことが必要だ。(スポーツジャーナリスト 生島淳)


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