私の小倉台日記

■プロフィール
勝山朗子(かつやま・あきこ)
  小説家、エッセイスト。房総文化懇話会会員。文学サークル『槙』同人。共著に『千葉児童文学選集』『槙・文学選集1・2・3』『何がそんなに…』など。千葉市在住。


違う世界に

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 認知症の度合いを調べる色々の質問の中に「今の季節は?」というのがある。

 それを聞かれたとき、夫は暑い真夏なのに「春です」と答えた。そばにいた私は「えっ?」と驚いたが本人は「どうだ!」という顔をしている。部屋の中はクーラーで丁度良い温度になっているから、そう思うのも無理ないかもしれない。

 「生年月日は?」それは正しく答えられた。小学生の頃から何度も聞かれた質問だからだろうか。「では、お幾つですか?」これには首を傾げたまま答えられなかった。

 後になって同じことを聞いてみた。やはり考えたままだったから「八十歳よ」と口を添える。「ええっ?」信じられない、という顔だ。「そんなに驚いて幾つだと思っているの?」「分からないよ。でも八十とは思わなかった」しみじみとした声だった。

 別の日、テレビに「結婚四十周年」という夫婦が出た。「四十周年だって!」と驚いているので、「私たちは五十二周年よ」と言うと、また驚いて「へえぇ」と黙ったままだ。そばにいる年老いた女房の顔を見れば分かりそうなものなのに、自分だけ若いつもりでいるのだろうか。

 夫を見ていると、忘れる、ということはいいことだと羨ましくなる。思い出したくもないことを、ひょんな時に思い出すことがある。忘れたいことに限って鮮明なのも気が重い。その点夫は、いやなことはみんな忘れているのだからいい。しかし楽しいことも忘れているのだけれど。

 夫が踊っている社交ダンスの写真を見せても、自分だということは分かるものの、なぜ自分がそこにいるのかと聞く。聞かれても納得のいくように答えるのがむずかしい。なぜ、そこにいるのかというのは、なぜ生きているのか、と似たような質問だ。

 兄弟夫婦六人で行った旅行の写真を見せても「ふ~ん、これはいつ?」と言い、去年私たち姉妹と行った房州鴨川の写真を見ても「忘れた」と答える。寂しいけれど、その時は楽しかったのだからそれで良いと思うことにしている。

 違う世界に住んでいる人だと思えばいい。私の感じないものを感じ、暑い日差しも秋の涼風に感じる人だから。

 と思ってはみるものの、非常に暑い日、「寒いからガラス戸を閉めてくれ」と言われると、「私は汗をかいているのよ」と声が大きくなる。

 夫のベッドは庭の方に頭が向いている。寝ながら庭を見せたいから向きを変えたいと思うのだが、本人は庭には興味がない。眠っている方がいいらしい。夕方から目が覚めてテレビを見る。

 午後四時から私がテレビの『相棒』を見るので、それを一緒に見る。なるべく歌番組をつけて夫の気分を高揚させている。頭の体操のつもりでクイズ番組も見る。私が大声で問いに答えると、「よく分かるねぇ」と言うが、夫だって分かる問題だ。病気のためにスピードがないだけだ。

 デイサービスの車を待っている間、車庫の中で「あっち向いてホイ」をする。このごろ、だんだんジャンケンが早くなってきた。病気が治るというわけではないけれど、進まないでいてもらいたい。もっと遠い違う世界に行かないためにも。