私の小倉台日記

■プロフィール
勝山朗子(かつやま・あきこ)
  小説家、エッセイスト。房総文化懇話会会員。文学サークル『槙』同人。共著に『千葉児童文学選集』『槙・文学選集1・2・3』『何がそんなに…』など。千葉市在住。


成り立った会話

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 夫がデイサービスから帰ってきた。ご機嫌がよろしいように見受けられる。

 五月から近所の施設へ通うことにしたのだ。こんな近くに、同じ小倉台にデイサービスがあるのを知らなかった。

 今まで通っている所と合わせると、週、四回になる。

 今日はお天気が良かったので、すぐ近くの公園に行ったと施設の人から説明があった。第一日目だから疲れただろうとベッドに腰掛けている夫の顔をのぞきこむと、さっぱりした顔だ。意外にも、「おれ、お金もっていないんだよ」と、はっきりした口調で言う。

 「そうよ。なくても大丈夫よ。何も買わないのだから」「でもタクシーにも乗れないよ」「乗らなくてもいいのよ、送り迎えをしてくれるから」「電話も掛けられないよ」「どこへ電話するの?」「家とか…、タクシーとか」「どうして電話するの?」「家へ帰るんだ」

 目が真剣だ。こんなに引き締まった顔を見るのは久し振りだ。しかも私との会話が成り立っている。

 「家に電話したくても、公衆電話というものが今は、なくなってしまったのよ。それに家の電話番号を忘れてるでしょう?」「じゃあ、どうするんだ」「ケイタイを持って行きましょうか」。「うん」と素直に頷いた。

 とは言うものの、ケイタイの使い方を忘れてしまっている。

 「この一番を押すと私のケイタイに繋がるから、やってみて」と私は隣の部屋へ行く。ベルが鳴りお互いの声を聞いて当然のことなのに安堵する。

 「でもね、どうしてケイタイをかけたいの?」「……」「今日、公園へ行ったんでしょう?公園でそう思ったの?」「どこにいるのか分からなくなった。家がどこだか…」「迷子になったと思ったのね?」「うん」「大丈夫よ、施設の人たちがちゃんと回りで見ていてくれてるから」

 まだお仲間たちの顔も覚えていないし、施設の職員さんたちの顔も知らない。だから心細かったのだろう。その夜は久し振りに、ケイタイをかけ合って遊んだ。

 「認知症」という言葉から、人は暴力や暴言を想像するらしい。けれど全部の人がそういうわけではない。しかし、徘徊のために行方不明になる人の数は年間一万人だという。

 私は夫の病気を必要以上に隠したりはしない。ご近所にも話してあるし、私のケイタイ番号もお知らせしてある。夫は私の姿が見えないと不安がって、遠くまでは行かないけれど家の周りで私を探す。先日も私よりひと足早く帰った夫が、車庫の中で私を待っていた。

 近所の奥さんが知らせてくださって助かった。本当にご近所はありがたい。

 家族の介護をしている皆さん、一緒に頑張りましょう。