対牛楼(江戸城)の戦い 南総里見八犬伝(14)

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『南総里見八犬伝』主要地・地図。石浜城とは江戸城のこと

 太田道灌(どうかん)の築いた江戸城が、『八犬伝』では「石浜城」(対牛楼)の名で描かれています。

 「石浜城」に幽閉された八犬士・犬田小文吾悌順(こぶんごやすより・悌の玉)が、旦開野(あさけの)という女田楽師に身をかえた八犬士・犬坂毛野胤智(けのたねとも・智の玉、『胤』は千葉氏の名によく用いられる文字)に助け出され、「対牛楼の戦い」へと進展していきます。

 毛野は千葉介の家老・粟飯原(あいばら)氏の出と設定され、父は馬加氏(まくわりし・千葉氏の一族)と組んだ扇谷上杉定正の家臣に策謀で殺害された話になっています。江戸城が描かれているのは、豊島、江戸、千葉氏など多くの関東武士が殺された拠点となった城だからでしょう。

 犬塚信乃の育つ大塚の地や神宮(かにわ)川の場面は克明な写生で描かれ、馬琴がこの場面にこだわったのは馬琴の育ちが大塚周辺で、よく知っている地を用いたためです。

 馬琴は旗本・松平信成に仕えていた家老・滝沢興義(おきよし)の五男ですが、九歳で父を亡くします。父の死後、兄の俸禄を減らされ馬琴は主君の孫・八十五郎(やそごろう)の小姓として勤めますが辛さから出奔。以後著作を志して山東京伝に弟子入りし蔦谷重三郎を知り、履物商の百(ひゃく)の入婿となり一男三女が生まれますが、商売を嫌い作家の道を歩みます。

 滝沢家の祖先は武蔵国埼玉郡川口村の郷士・真中氏を婿とした家柄(馬琴が調べている)であり、真中氏は豊島氏の枝流で、馬琴は豊島氏と繋がる家柄を『八犬伝』で犬塚信乃に託したのでしょう。八犬士が命を狙う相手が主に扇谷定正である理由がここにある訳です。「植杉」と表記された人物も登場しますが、皆上杉一族を示します。

 『八犬伝』の「第九輯・巻之二」で、犬江親兵衛を除く七犬士が、扇谷定正を窮地に追い込み、犬塚信乃と犬山道節は定正の居城である五十子(いさらご)城を占拠します。

 信乃は白色の白壁に数行の文章を筆でしたため、姓名を記します。信乃が五十子城に姓名を留めたその日付が、「文明十五年正月二十一日」と『八犬伝』に明記されています。古河公方と室町幕府の和睦が成立し、古河公方が関東の支配権を握ったのが、文明十四年(1482年)十一月であった史実を考えれば、成氏が支配権を握ったすぐあとにこの日が設定されていることが分かります。

 道節と信乃は定正の臣・太田道灌に滅ぼされた豊島氏の一族の出ですから、恨みを晴らすことになります。信乃の快挙には馬琴の先祖豊島氏の無念を信乃に託し、物語で晴らした馬琴の心情が汲みとれるのです。