太田道灌と千葉氏の内乱 南総里見八犬伝(13)

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古河(こが)居館跡(古河市)。古河公方・足利成氏の居城のあった古河は、『南総里見八犬伝』で、滸我(こが)の文字で書かれている。芳流閣とは古河城のこと

 関東管領扇谷上杉(室町幕府側)の家宰・太田道灌(どうかん)は、古河公方・足利成氏(しげうじ)と戦うため画策した忠義の臣ですが、室町足利九代将軍義尚(よしひさ)時代を迎えた文明十四年(1482年)十一月に室町幕府と成氏に和睦が成立。古河公方が関東を支配し、幕府側の堀越公方が伊豆一国を支配するという形で一応終結します。和睦によりうとましい存在となった道灌は、主君扇谷(おうぎやつ)上杉定正より領地での蟄居(ちっきょ)を命ぜられます。

 自由に行動できない父に代わり、『八犬伝』では、道灌の命を受けた息子の巨田薪六郎助友(すけとも・架空の人物、物語では太田でなく巨田と記述)が登場します。うとまれながらも道灌はあくまでも主君に忠義を貫く忠臣なのです。

 『八犬伝』で、荒芽山に集った八犬士のうちの五犬士(犬山道節、犬塚信乃、犬川荘助、犬飼現八、犬田小文吾)が謀られ大敗して散り散りに逃げる場面が「第五輯・巻之三」にありますが、五犬士と戦う相手が巨田助友です。何故五犬士が助友と戦うのか。その前に山内上杉家の家宰の家柄の長尾景春(かげはる)が不満から古河公方と結び、反乱(長尾景春の乱)したときの智将・道灌の活躍を述べておく必要があります。

 景春の父・景仲は道灌の母方の祖父にあたりますが、長尾景春の乱のとき、道灌は主君・扇谷定正について景春と戦います。その時、江戸城の周辺に位置する豊島氏が景春についたため、道灌は兵を発して、豊島氏を滅ぼします。

 八犬士・犬山道節忠與(どうせつただとも)は練馬氏の出ですが、練馬氏と豊島氏は親戚で、このとき道灌に滅ぼされた氏族の出。八犬士・犬塚信乃戌孝(しのもりたか)も本名は大塚で、豊島氏と関係があると設定されています。荒芽山の戦いは豊島氏の太田道灌への逆襲なのです。

 『八犬伝』で豊島近くにいた八犬士・犬塚信乃や犬川荘助たちが災難に逢うように描かれているのはこうした事情によっています。

 また、千葉氏の当主を名のる上総千葉氏の千葉孝胤(のりたね・岩橋氏)が古河公方・成氏を支える有力武将であったことから、苦戦した道灌は、千葉氏の当主をねらう千葉介自胤(よりたね・千葉氏の嫡流の千葉実胤の子・武蔵千葉氏)を擁護して内乱をおこさせ、孝胤は臼井城(佐倉市)に籠城。道灌も国府台(市川市)に城を築いて臼井城を攻め、孝胤は本佐倉城を築いて退去します。

 自胤は上杉側として勢力を伸ばしますが、道灌が失脚すると後ろ盾を失い、千葉氏としての下総支配を失っていきます。『八犬伝』には孝胤の名と、そして自胤が登場しています。

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 連載(11)の「古利根川を下って館山の古那(那古〔なこ〕のこと)に流れつきます」の部分を、「旧利根川を下って行徳の浦に流れ着き、古那屋に救われます。古那は館山の那古〔なこ〕の地名を逆にしたもので、那古との関係をほのめかします」にします。

 なお、旧利根川とは、時代により川筋を幾度も変えますが、渡良瀬川とほぼ平行に古河の南側から南下し、現在の古利根川・中川の一部を通り江戸湾に注いでいた昔の坂東太郎のこと。現在の利根川は江戸初期の利根川東遷事業により銚子に流れを変えています。