八犬士出現の背景 南総里見八犬伝(10)

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 『八犬伝』で、自害した伏姫の腹から八方に光玉が宙を飛び、その玉に導かれた八犬士が登場しますが、伏姫が自害するのは長秋二(1458)年秋としっかり明記されています。

 その頃の関東地方は、どのようになっていたのでしょうか。当時の歴史を認識しておくと、八犬士出現の理由が見えてきます。

 室町六代将軍・足利義教(よしのり)が亡くなると、その子義勝(よしかつ)が七代に就任。結城合戦での、鎌倉公方・持氏(もちうじ)の幼い遺子、春王・安王を殺害した行き過ぎた制裁に反省した室町幕府は、春王・安王の弟でまだ幼い足利成氏(しげうじ)を鎌倉公方(鎌倉将軍)に就任させ、関東武士たちの不満を和らげようと努めます。

 関東管領筆頭には同じく山内上杉氏が就任し、扇谷(おうぎがやつ)上杉氏はそれを補佐していきます

 成氏は『八犬伝』では成氏(なりうじ)とルビ表記されていますが、これは馬琴が間違えてルビ表記したもので、物語後半に馬琴はその間違いに気づき訂正しています。

 ところが、成氏は成長するにつれ、関東管領上杉氏に不満を感じ始め、享徳3(1454)年、成氏が上杉憲実の子・憲忠(のりただ)を暗殺する事件が起こります。これが享徳(きょうとく)の乱の始まりです。山内上杉一門は報復にたちあがりますが返り討ちにあい、扇谷上杉家の当主・顕房(あきふさ)も討たれます。物語では成氏は有能な人物のようには描かれていませんが、史実では随分と戦の巧い人物なのです。

 室町幕府は成氏の討伐をきめ、今川を向かわせ、敗れた成氏は下総国古河城に拠り、上杉氏に反感を抱く関東の氏族を見方にして、1455年に古河公方(こがぐぼう)と称して、室町幕府に抵抗します。

 『八犬伝』で、古河(こが)は「許我(こが)」と表記されています。成氏を支えた有力武将が里見義実と千葉氏の当主を名のる千葉孝胤(のりたね)です。

 室町幕府は古河公方に対抗し、1458年に伊豆の堀越に足利七代将軍義勝の弟政知(まさとも)を送りこみ、堀越公方と呼ばれ、以後28年間、関東は旧利根川を境として東側は古河公方支配、西側は堀越公方・上杉支配の時代を迎えます。

 ここで伏姫が自害した年を思い出して下さい。1458年でした。その年が堀越公方の赴任と重なっていることに気づきます。里見氏は成氏の父・持氏に味方した氏族で、伏姫の自害により八犬士が誕生するのですから、八犬士の出現は、幕府に不満をもつ関東武士団たちの代表として、堀越公方の権力の拡大をけん制して誕生してくることがわかります。