忙人寸語

忙人寸語(2017年3月11日)

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 2011年3月11日、「そろそろお茶の時間だね」そんな会話が聞こえてきそうな春の一日だった。午後2時46分、何の前触れもなく激しい地震に襲われた。1987年12月の千葉県東方沖地震に増す恐怖を感じた

▼家族の無事に安あん堵どしたのもつかの間だった。東北3県や本県沿岸部に巨大津波が押し寄せ、2時45分までの穏やかな午後は一変した。そして、多くの人命が失われた

▼被災地の山武市には江戸時代の津波の犠牲者を供養する百人塚や千人塚がある。過去の災害を刻む石碑は静かに警鐘を鳴らしてきたが、東日本大震災の前に津波の備えに意識を向けた住民は、記者を含めどれだけいただろうか

▼震災から、きょうで6年。県内の復興は進むものの、旭市の沿岸部には宅地跡などの爪痕が一部に残る。また、本県内には福島県などからの避難者がおり、依然として不自由な生活を強いられている

▼一方で、年月の経過は震災の風化を招き、危機感を募らせる有志は、企画展などで人々の関心を呼び戻そうと懸命だ。こうした取り組みの報道が風化防止の一助になると信じており、メディアの一員として責任の重さに身が引き締まる

▼今年も追悼行事が行われる。鎮魂の日は次代を担う命を守る誓いの日でもある。体験者の証言に耳を傾け、震災を教訓にハード・ソフト両面から備えを一層、強化しなければならない。